数字がニガテ

 

あいプラネット代表は、「数」が苦手です。

最終的にバリバリの(いわゆる)理系出身者となったのですが

子どものころは、「さんすう」が大の苦手でした。

 

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小学校1年生の夏休み前

給食のあとの5時間目、算数の時間のことです。

「ひきざん」が どうしてもできません。

指をつかって

「5ひく3」をしても

「4ひく1」をしても

ぜんぶ「ゼロ」になっちゃうのです(大汗)。

まわりのお友だちは みんな できています。

なんでできないのか、なんでできるのか 7歳の頭は大混乱。

わけがわかりません。

泣きそうになって いえ 実際に泣きながら

逃げるようにして家に帰ったのをおぼえています。

「なんで こんなモノがあるのか」

混乱の中で 幼い私は算数、いえ数字そのものをうらめしく思いました。

 

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「数」こそが「神様の言葉」だ として数字(整数)を信仰したのは

古代ギリシャのピタゴラスたちです。

ある日 散歩中に鍛冶屋(かじや)の前をとおったピタゴラスは

鍛冶屋が鉄をたたく

カーン、カーン

という音が きれいに響き合っている時と

そうでもない時があることに気づきました。

そこでピタゴラスは弟子たちと 音のちがいをよくよくしらべました。

 

すると おもしろいことがわかりました。

音のちがいは、たたくハンマーの重さがちがっていました。

もっとよく調べていくと

きれいに音が響き合うときは ハンマーの重さの比が

2:1 3:2 など

簡単な整数の比になっていたのです。

 

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ピタゴラスは この「数(整数)」と「音程」のフシギな関係から

「ドレミファソラシド(音階)」

を発明しました。

 

古代ギリシャは、身の周りのいろんな現象を

哲学や数学で説明することに目覚めた時代。

ピタゴラスたちは

「音」という形のないものにも

数字がかくれていることに気がついたのでした。

その発見はどれほど身の震えるものだったことでしょうか。

 

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自分たちをとりまく世界を理解したい

という想いは 今も昔も同じでしょう。

高校生になった私は 自分たちは いったいこの広い世界(宇宙)の

どこにいて どんな存在なのかなあ。

世界はいったい どんな姿をしているのかなあ。

そんなことを考えるようになっていました。

たくさん考えたり練習したりして

宇宙物理学をどうにか扱えるくらいの数学を身につけて

学問の世界に入っていったのでした。

 

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ウン十年前、泣きながら家に帰った私は

母に「ひきざん」をおしえてもらい 

なんとなく「わかった気」になりました。

 

じつは今でもちょっぴり苦手意識はあります。

でも、自然界をささえる自然法則と それを発見してきた英知を知るほどに

ほんとうにすごいなあ 美しいなあ もっと知りたいなあ

と ますます思うようになっています。

 

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(※参考)『とてつもない数学』永野裕之著 ダイヤモンド社